~本当にそれは「社会進出」だったのか?~

かつて、「男性は仕事」「女性は家庭」という役割分担が主流だった日本社会。
それは現代では「時代遅れ」と批判され、女性の社会進出が強く推奨されてきました。

しかし実際には、多くの女性が「自己実現」や「キャリアの夢」のためではなく、生活苦を理由に働かざるを得ない状況に追い込まれています。

この現実を、私たちは果たして「社会進出」と呼べるのでしょうか?
本記事では、女性が労働市場に出ざるを得なくなった背景と、それがもたらした女性の“地位の低下”について、具体例を交えながら冷静に考察していきます。


1. 女性の「社会進出」は本当に“自発的”だったのか?

報道や政策は、「女性の社会参加は前向きな選択」という前提で語られがちです。
しかし現場の実情は、**経済的理由による“強制的労働”**が大半であることを示しています。

🔹 例:専業主婦だったが、夫の収入減でパートに出ざるを得なかった40代主婦

「本当は家にいて子どもに手をかけたい。でも夫の手取りが20万円では暮らしていけない。仕方なくレジ打ちのパートをしている」

このように、“働きたい”というより、“働かないと暮らせない”というケースが多いのが現実です。


2. なぜ生活苦が深刻化したのか?社会構造の変化

✅ 一馬力では暮らせない時代に突入

バブル崩壊以降、日本の平均給与は横ばい〜下降傾向にあります。一方で、物価・税金・教育費などは上昇の一途。

結果として「夫の稼ぎだけでは生活できない」家庭が激増。
特に中流層の家庭でも、妻の労働が必須になっている。


3. 女性が「労働者」となった代償とは?

✅ (1) 家庭の崩壊:子育ての時間と質の低下

かつての専業主婦は、家庭を守る「内なる支え」でした。
しかし、母親が朝から晩まで働くようになると、子育て・家事は後回しに。

🔹 例:保育園の延長保育に毎日駆け込む母親
⇒ 子どもとの会話が激減、家庭内の会話もなくなる
⇒ 子どもの情緒不安・家庭内トラブルの増加


✅ (2) 女性の“地位”ではなく“労働力”としての価値に変化

「社会進出」と言えば聞こえは良いですが、実態は低賃金・不安定雇用が多いのも事実。

🔹 例:女性が多く働くパート、派遣、介護、保育などの現場
⇒ 重労働なのに低賃金/立場が弱く、いつでも切られる存在に

つまり、“守られる存在”から、“使い捨ての労働力”へと立場が転落したのです。


✅ (3) “妻”から“共稼ぎ同居人”へ:夫婦関係の変質

かつて、夫は「一家の大黒柱」であり、妻は「支え手」でした。
しかし共働きになった現代では、女性も同じだけ働いても「家事・育児は女性がやって当然」という状況が変わらない。

🔹 例:妻もフルタイム勤務だが、夕食づくり・洗濯・子どもの送り迎えはすべて担当
⇒ 精神的・肉体的に限界が来る
⇒ 離婚や別居の原因にも


4. なぜ女性はこの“地位低下”に気づきにくいのか?

  • 「社会で働ける=自立」というイメージ戦略に飲み込まれている
  • 同世代の女性同士で“苦労自慢”を共有しあい、疑問を抱かなくなる
  • 専業主婦=怠け者/時代遅れという偏見にさらされやすい

その結果、「本当は苦しい」「本当は家庭に戻りたい」と感じても、口に出せない空気が社会全体を覆っています。


5. 本当に必要だったのは「社会進出」ではなく「社会の支援」

女性が社会で働くこと自体が悪いわけではありません。
しかし、“働かされる”構造の中で女性の尊厳が奪われるなら、それは「進出」ではなく「搾取」に近い状態です。

✅ 必要なのは以下のような政策的転換:

  • 一馬力でも子育てできる経済構造の再建
  • パート・非正規女性の待遇改善
  • 家庭という価値の再評価(専業主婦を選ぶ権利の尊重)
  • 「家庭にいても社会に貢献している」という認識の復権

結論:進出したのではなく、引きずり出されたのかもしれない

「女性の社会進出」は本当に女性自身が望んだ未来だったのでしょうか?
もしかしたら、生活苦という現実に背中を押され、“守られていた場所”から引きずり出されただけなのかもしれません。

そして今、女性たちは「自己実現」ではなく、「生活維持のために必死で働く存在」となりつつある――
そのことに気づいたとき、私たちはもう一度、「女性の幸せとは何か?」を問い直す必要があるのではないでしょうか。

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