■ はじめに:「弱い人を切り捨てる社会」が当たり前になりつつある
最近、ふとSNSやニュースを見ていてこう感じたことはありませんか?
「休職した人が戻る居場所がない」
「育児や介護で時短勤務すると評価が下がる」
「メンタル不調を打ち明けたら自己責任扱いされた」
まるで、“壊れない人間だけで社会を回していこう”としているような空気。
この風潮は、企業でも、学校でも、家庭でも広がっている気がします。
本記事では、「生き残れる人だけが正解」とされる現代社会の“異常さ”を、具体例とともに掘り下げていきます。
■ 具体例①:メンタルで休職した社員が「いなかったこと」にされる職場
某IT企業で、30代男性社員Aさんがメンタル不調で休職。
1か月後に復帰すると――
・上司「もう戻ってこないと思ってたよ」
・部下「Aさんの業務、全部こっちに回って大変でした」
・本人は席も変わり、プロジェクトからも外されていた
「おかえり」ではなく「邪魔者」扱い。
“壊れた人”が戻ってくることを想定していない組織設計が、無言のプレッシャーになっているのです。
■ 具体例②:「自己責任」論の蔓延で、弱音すら吐けない社会
SNSではよく見かけます。
「つらいなら辞めれば?」
「努力が足りないだけでしょ」
「本当に苦しい人はSNSに書かない」
これらの言葉は、一見冷静な正論に見えて、支援や共感を奪う冷たいナイフです。
特に若い世代や非正規雇用の人たちは、相談する相手も少なく、こうした「自己責任論」に飲まれて孤立しやすい傾向があります。
■ 具体例③:会社が「育てない」→即戦力だけを求める時代
新卒でも中途でも、企業が求めるのは「即戦力」。
・研修制度の削減
・「未経験可(ただし即戦力)」という矛盾した求人
・使い捨てられる非正規社員
結果として、「教える文化」が消えつつあります。
人材を“育てる”のではなく、“合わなければ切り捨てる”が当たり前に。
**その企業にフィットした人だけが生き残る、過酷な“適者生存社会”**が進んでいます。
■ 具体例④:学校でも「強い子」だけが残る風潮
学校現場でも似たような構図が見られます。
・「不登校=問題児」というレッテル
・いじめられた子が転校するしか道がない
・発達特性のある子が支援を受けられず孤立
本来、「個性や事情に応じて環境を整えるべき」場所なのに、対応できない側に問題があるという認識が広がっています。
これは、子ども時代から「適応できないやつは外れるべき」という価値観を刷り込むようなものです。
■ なぜこうなったのか?根底にある「効率主義」と「成果至上主義」
この風潮の背景には、次のような社会構造があります。
- 労働人口の減少 → 少ない人材で回すため「強い人」優遇
- 成果主義・スピード重視 → 時間のかかる支援は“コスパが悪い”
- SNS文化の影響 → 「勝ってる人」が目立ちやすい構造
つまり、“効率”と“自己責任”が過剰に評価されるあまり、「支え合い」や「成長の余白」が排除されているのです。
■ これは一時的な流行ではなく、社会そのものの“歪み”
怖いのは、こうした価値観が「常識」として固定されつつあること。
・制度はあるけど使えない(産休・時短・障害者雇用)
・支援すると「甘やかし」と言われる
・弱音を吐いたら「負け犬」扱いされる
誰もが「壊れる可能性のある社会」なのに、壊れた人が排除される構造は、長期的には誰にとっても危険です。
■ じゃあ、どうすればいいのか?
大きな変革はすぐには無理でも、個人レベルでできることもあります。
- 「調子が悪い人=ダメな人」という認識をやめる
- 自分も“壊れるかもしれない側”であると理解する
- 身近な誰かがつらそうなときに「大丈夫?」と声をかける
- 無理に戦うのではなく「逃げる」選択肢を肯定する
一人ひとりが「共感と余白」を持てる社会にすることで、徐々に風向きは変わっていくはずです。
■ まとめ:「生き残れなかった人」にやさしくない社会は、いずれ全員が苦しくなる
「強い人だけが残ればいい」社会は、一見スマートで合理的に見えて、実は非常に危うい構造です。
なぜなら、誰もが“生き残れない日”を迎える可能性があるから。
心を壊した人、家庭の事情を抱える人、体調を崩した人――そんな人が排除されずに、「また一緒にやろう」と言ってもらえる社会こそが、人として健全ではないでしょうか。
「一度落ちても、戻れる」
「誰かが困ったときに、支えられる」
そういう余白のある社会を、私たちはもう一度、作り直す必要があると思います。
■ 最後に
あなたが「ついていけない」と感じたなら、それはあなたが間違っているのではなく、社会が少しおかしいのかもしれません。
その感覚は、間違いなく正しいものです。