お盆休みや年末年始の連休が明けると、X(旧Twitter)では「満員電車がまた始まる」「もうすでに帰りたい」といった声で溢れかえります。これは、日本の会社員にとって、日々の通勤がいかに大きなストレスになっているかの証拠です。
しかし、その裏返しとして、お盆期間中に体験する**「ガラガラの電車」は、なぜか異常なほどの幸福感を与えてくれます。**
いつもと何ら変わらないはずの通勤時間なのに、なぜたったそれだけで私たちは幸せを感じられるのでしょうか。今回は、その理由を具体例を交えて解説したいと思います。
1. パーソナルスペースの確保という、ささやかな贅沢
満員電車では、隣の人との物理的な距離がほとんどありません。肩がぶつかり、リュックが押しつけられ、スマホを操作するのも一苦労。もはや「パーソナルスペース」は存在せず、私たちは毎日、他人に自分のテリトリーを侵されている感覚を味わっています。
ところが、ガラガラの電車ではどうでしょう。
「座席に座れる」のはもちろんのこと、隣の人との間にゆったりとした空間が生まれます。新聞を広げたり、カバンを足元に置いたり、好きな姿勢で過ごせる。これだけでも精神的な負担がぐっと軽くなります。
例えば、普段は窮屈で読めなかった文庫本を広げて読んだり、ヘッドホンで好きな音楽を聴きながら車窓を眺めたり。いつもは「苦行」でしかなかった通勤時間が、自分だけの「至福のひととき」に変わるのです。
2. 予期せぬ「自由」の獲得
満員電車では、私たちは常に他人の動きに合わせて行動しなければなりません。ドアが開けば押され、急な揺れに耐え、次の駅で降りる人に道を譲る。
しかし、電車がガラガラだと、その全てから解放されます。
「次の駅で降りる人がいないから、ドアの前に立たなくていいや」 「揺れても、手すりをしっかり持っていれば大丈夫」
誰かに気を遣ったり、無理な体勢を維持したりする必要がなくなります。これは、**通勤という「不自由な時間」の中に突如現れる、予期せぬ「自由」**と言えるでしょう。この自由が、私たちの心に安らぎを与えてくれます。
3. 「非日常」がもたらす心の余裕
私たちの脳は、ルーティンから少し外れた「非日常」に触れることで、新鮮な刺激を受け、気分がリフレッシュされるようにできています。
いつもはぎゅうぎゅうの電車が、信じられないくらい空いている。この非日常的な光景は、知らず知らずのうちに、私たちの心を軽くしてくれます。
「あれ、今日はいつもと違うぞ?」という気づきが、日常の憂鬱さを一時的に忘れさせてくれるのです。
たかが電車、されど電車。ガラガラの電車が私たちにもたらす幸福感は、決して大袈裟なものではありません。それは、日々の通勤で失われている「ささやかな自由」や「心の余裕」を取り戻す、貴重な時間なのです。
この幸せを思い出しながら、また今日からの満員電車をなんとか乗り切りたいものですね。