大分市のケースでは、馬乗りで殴打し、後頭部を蹴り上げるという凄惨な場面が動画として残され、瞬く間に拡散されました。かつてのいじめが「陰湿で見えにくいもの」だったのに対し、現代のいじめ・暴力は「可視化され、娯楽化される」傾向にあります。
そこには、主に3つの心理的要因が働いています。
1. 暴力の「コンテンツ化」と承認欲求
SNS時代を生きる若者にとって、スマートフォンは単なる通信手段ではなく、自分を演出するための「カメラ」です。彼らにとって、目の前で起きている衝撃的な出来事は、解決すべき「事件」ではなく、バズる(注目を浴びる)ための「コンテンツ」に見えてしまうことがあります。
- 具体例: 撮影者は暴行を止めるどころか、「もっとやれ」という空気を煽ったり、より衝撃的なアングルで撮ろうとしたりします。これは、SNSで「いいね」やリポスト、グループ内での注目を浴びたいという歪んだ承認欲求が、良心や恐怖心を上回ってしまうためです。
2. 「観衆」が加害を加速させる心理
心理学には「傍観者効果」という言葉がありますが、SNS時代にはこれがさらに進化しています。
- 具体例: 目の前で暴力が行われていても、スマホの画面越しに見ることで、どこか「フィクションの世界」のような解離(リアリティの喪失)が起きます。
- 心理メカニズム: 「誰かが動画を上げれば、自分も見ていいんだ」「自分は手を下していないから罪はない」という責任の分散が起き、加害行為を止めるストッパーが外れてしまいます。むしろ、拡散という形で参加することで、集団的な高揚感(群衆心理)を得ようとします。
3. デジタル時代の「パワーバランス」の誇示
かつてのいじめは「力でねじ伏せる」ことで完結していましたが、現在は「デジタルで晒す」ことまでがセットになっています。
- 具体例: 被害生徒が殴られている無様な姿をネット上に永久に記録することで、加害者は「自分の方が圧倒的に上の立場である」という主従関係を固定化しようとします。
- 屈辱の永続化: 物理的な傷は癒えても、動画が残り続ける限り、被害者は「世界中から笑われ続けている」という絶望感に苛まれます。加害者にとって拡散は、被害者の尊厳を破壊するための**「精神的な追撃」**なのです。
社会が直面する「SNSパトロール」の限界
大分の事案を受け、学校側は「スマホの持ち込み制限」や「SNS指導」を強化する方針ですが、これには限界があります。
- 具体例: 学校側がいくら指導しても、動画は一度拡散されれば、海外のサーバーや個人のクラウドに保存され、完全に消去することは不可能です。また、加害生徒だけでなく、興味本位で拡散した「不特定多数の視聴者」も加害に加担しているという自覚が乏しいのも現状です。
まとめ:私たち大人にできること
今回の事件は、大分の一中学校の特殊な例ではありません。スマホを持つすべての子供が、撮影者にも、拡散者にも、そして被害者にもなり得る社会です。
私たちは子供たちに対し、「画面の向こう側にいるのは、痛みを感じる人間である」という、あまりに当たり前で、しかしデジタル空間で失われがちな**「想像力」**を繰り返し伝え続けなければなりません。また、学校だけで対応できない場合は、即座に警察や専門機関と連携し、「ネット上の暴力も現実の犯罪である」という厳格な姿勢を示すことが求められています。