2025年10月某日、自民党の新総裁に就任した高市早苗氏が初の記者会見に臨む直前、信じがたい出来事が起きた。テレビ局の中継カメラが回っているにもかかわらず、記者の一人が「支持率、下げてやるからな」と発言し、その音声がそのまま全国に放送されてしまったのだ。政治の節目に起きたこの“放送事故”は、大きな波紋を広げている。


■会見直前、まさかの一言「支持率、下げてやる」

発言が飛び出したのは、高市氏が就任後初となる記者会見の直前だった。中継映像はすでにテレビ各局やネット配信を通じて全国に流れており、会見会場の準備風景が映し出されていた。
その中で、報道各社が着席し機材を調整する様子の中から、マイクが拾った一言が視聴者の耳に届いた。

「支持率、下げてやるからな」

一瞬、会場はざわつき、SNSでも「今の聞こえた?」「記者がそんなこと言っていいの?」とリアルタイムで投稿が相次いだ。テレビ局側はすぐに音声を切ったが、すでに遅かった。


■発言したのは全国紙の政治部記者か

発言者について、公式な発表はまだない。しかし、現場の関係者や報道関係者によると、声の主は全国紙の政治部記者とみられている。
同席していた別の記者は匿名を条件に次のように証言している。

「冗談半分だったのかもしれないが、記者として言っていいことではない。中継が入っていることは全員知っていたし、発言が流れる可能性もわかっていたはずだ」

この証言が事実なら、「報道の中立性」が強く疑われる行為であることは間違いない。


■ネットで大炎上「報道が政権の敵か」

この音声は瞬く間にSNSで拡散され、「報道機関が政権打倒を目的にしているのでは」との批判が殺到した。

X(旧Twitter)では、放送直後から「#支持率下げてやる」がトレンド入りし、数時間で50万件以上の投稿が集中。代表的な声は次の通りだ。

  • 「報道が国民の知る権利を守るどころか、世論操作を宣言しているようなもの」
  • 「報道が偏っているという疑念が、ついに“証拠付き”で出てしまった」
  • 「高市さんが好きとか嫌いとか関係ない。これは民主主義の根幹に関わる問題」

一方で、一部のメディア関係者からは「オフレコの雑談がたまたま拾われただけ」と擁護する声も出ているが、国民の反応は冷ややかだ。


■報道の“中立性”はどこへ消えたのか

この出来事が問題視される最大の理由は、単なる「暴言」ではなく、報道機関が本来持つべき“中立性”と“監視者としての立場”を逸脱している点にある。

本来、記者は権力を監視し、政策の是非を問う立場だ。しかし「支持率を下げてやる」という言葉には、取材対象を公平に見ようという姿勢が全く見えない。むしろ、「政治を操作したい」という意図が透けて見える。

政治ジャーナリストの山田浩一氏は次のように指摘する。

「報道機関は国民の信頼があって初めて機能する。もし記者が“敵意”をもって政治家を攻撃しようとしているのなら、それは報道ではなく“政治活動”に近い。今回の件は、記者クラブ制度そのものの在り方を問う事件になるだろう」


■高市総裁は「冷静に対応」

一方、渦中の高市早苗総裁は、記者会見でこの件について問われると、冷静な表情でこう答えた。

「私はどなたの発言であっても、それによって政策判断を変えることはありません。私の使命は国民生活を守り、日本を前に進めることです」

挑発的な言葉にも感情を乱さず、淡々と応じる姿は、むしろ「強いリーダー像」として好意的に受け止められた面もある。


■「報道不信」の時代が加速する可能性

今回の一件は、単なるハプニングでは済まされない。なぜなら、これまで「中立」「公平」をうたってきたメディアが、自らその立場を否定するような言葉を発してしまったからだ。

すでに日本では近年、報道機関への信頼度が下がり続けている。内閣府の世論調査でも、「メディアを信頼している」と答える人は20年前の約70%から、2024年には40%台にまで落ち込んでいる。

今回の発言は、その信頼をさらに揺るがす「決定打」になりかねない。


■まとめ:問われるのは記者の“矜持”

「支持率、下げてやる」という一言は、報道という仕事の根幹を揺るがした。
本来、記者とは「権力の番人」であると同時に、「真実を国民に伝える存在」であるべきだ。しかし、もしその使命を忘れ、政治的な意図で行動するならば、それは「報道」ではなく「扇動」にほかならない。

高市政権の船出は波乱含みとなったが、むしろ今回の出来事で問われているのは、政治家ではなく“メディア自身”の姿勢である。国民の信頼を取り戻すために、報道機関は自らの在り方を根本から見つめ直す時期に来ているのかもしれない。

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