退職して早一年が過ぎた。去年の今頃は、長年の激務から解放され、第二の人生を謳歌すると夢見ていた。毎朝満員電車に揺られることもなく、煩わしい人間関係に悩むこともない。自分の好きな時間に起きて、好きなことをして過ごす。そんな生活が永遠に続くと思っていた。

しかし、現実は甘くなかった。

最初の数ヶ月は、旅行に行ったり、趣味に没頭したりと、それはそれは楽しい日々だった。長年積んでいた本を読破し、行きたかった美術館を巡り、時間に追われることなくゆっくりと食事をする。まるで夢のような時間だった。

だが、次第にその生活に飽きを感じ始めた。

会社にいた頃は、毎日が刺激的だった。新しいプロジェクトに挑戦したり、難しい課題をチームで乗り越えたり。時には辛いこともあったけれど、達成感や充実感は大きかった。自分の仕事が誰かの役に立っているという実感もあった。

今の私はどうだろうか?

朝起きて、特にやることもなく、ぼんやりとテレビを見る。午後は近所を散歩したり、図書館で時間を潰したり。夜は早めに布団に入る。そんな単調な毎日だ。

もちろん、自分のペースで生活できる自由はかけがえがない。しかし、その自由を持て余している自分がいる。社会との繋がりが薄れていくのを感じ、置いていかれているような焦燥感に駆られることもある。

経済的な不安もじわじわと押し寄せてくる。退職金はそれなりにあったものの、毎月減っていく残高を見るたびに、将来への不安が募る。贅沢はしていないつもりだが、やはり現役時代のように気兼ねなくお金を使うことはできない。

友人たちはまだ仕事で忙しそうだ。たまに連絡を取ることはあるけれど、話の内容がどうしても噛み合わない。彼らの話す専門用語や業界の動向は、今の私には遠い世界の出来事のように感じる。

あの時、もう少し慎重に考えるべきだった。早期退職という選択肢は、私にとって本当に正しかったのだろうか?

もちろん、後悔ばかりしているわけではない。体調は以前より良くなったし、家族と過ごす時間も増えた。しかし、それ以上に、失ったものの大きさを痛感している。

明日からまた、退屈な一日が始まる。何か新しいことを見つけなければ、このままでは心が朽ちてしまいそうだ。

2026年5月16日(土)曇り

昨日の日記を読み返して、改めて自分の情けなさに嫌気がさした。後悔ばかりしていても何も変わらない。何か行動を起こさなければ。

今日は、以前から興味があったボランティア活動について調べてみた。地域の子どもたちの学習支援や、高齢者の話し相手など、いくつかの団体が募集をしていた。

まだ迷いはあるけれど、まずは話を聞きに行ってみようと思う。少しでも社会との繋がりを取り戻し、誰かの役に立てるなら、今の閉塞感を打破できるかもしれない。

一歩踏み出す勇気を。まだ、遅くはないはずだ。

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