〜日本人の、日本人による、日本人のための政治が当たり前〜
ここ最近、「日本は右傾化している」という言葉がよくメディアで取り上げられています。自衛隊の強化、外国人労働者の受け入れ慎重論、教育現場での国旗掲揚・国家斉唱の推奨などがその“証拠”として挙げられています。
しかし、それらの動きを本当に「右傾化」と一言で片付けてよいのでしょうか?
むしろそれは、“日本人が本来持っていた価値観への原点回帰”ではないでしょうか。
原点回帰とは何か? 〜戦後体制からの脱却〜
「原点回帰」とは、敗戦直後にGHQによって強制された価値観や制度から、少しずつ脱却し、“日本人が本来持っていた自立心や共同体意識”を取り戻そうとする動きです。
たとえば、戦前の日本では「家族」「郷土」「国家」が当たり前のように大切にされていました。教育の中でも「郷土愛」や「公共心」は重視され、地域とのつながりを大切にする意識が強かったのです。
これが、戦後の“個人主義”の導入とともに失われ、日本人の中に「自分たちの国は誇れないもの」「日本を好きだということは恥ずかしいこと」という風潮すら生まれてしまいました。
具体例① 自衛隊と安全保障への関心
かつて日本では「自衛隊=軍隊=悪」というような感情的なレッテル貼りがされていました。しかし現在、災害時の活躍や国際貢献を通じて、自衛隊は国民から高い信頼を得ています。
また、台湾有事や北朝鮮のミサイル問題など、安全保障環境が厳しさを増す中で、「日本は自分の国は自分で守るべきではないか?」という問いかけが増えてきました。
これは“軍国主義”への回帰ではありません。むしろ、「主権国家としての当たり前の責任」を取り戻そうとする、極めて自然な流れです。
具体例② 移民・外国人政策への慎重論
一部のメディアは、外国人労働者の制限や不法滞在への厳格な対応を「排外主義」だと批判します。しかし現場では、治安悪化や地域の文化摩擦といった課題も無視できない現実です。
「誰でも歓迎」という“無責任な寛容”よりも、「ルールを守る人に門戸を開く」「地域に溶け込もうとする人を歓迎する」という姿勢こそ、健全で建設的な共生社会の土台となるのではないでしょうか。
具体例③ 国旗・国歌を大切にする教育
学校現場で、入学式や卒業式における国旗掲揚・国歌斉唱を「強制だ」と騒ぐ一部教職員がいます。しかし、他国を見れば、国家の式典で国歌を歌うのはごく普通のことです。
たとえばアメリカでは、小学校の朝礼で国旗に忠誠を誓う「プレッジ・オブ・アレジアンス」があり、イギリスでも王室行事では国旗・国家が重要な役割を果たします。
日本だけが「国を愛してはいけない」「国家を尊重するのは危険」という風潮だったのです。これを改めることが“右傾化”だというのは、あまりにも偏った見方です。
「日本人の、日本人による、日本人のための政治」とは?
これは決して“外国人を排除しろ”という意味ではありません。
「この国の政治は、まず第一に日本人の暮らしと未来を守るためにある」という、国家として当然の理念を確認するだけのことです。
・日本人が安心して暮らせる治安
・日本人の子どもが誇りを持てる教育
・日本人の税金がきちんと日本人のために使われる社会保障
こうした当たり前のことを主張するだけで「右翼」「排外主義」とレッテルを貼られてしまう風潮そのものが、むしろ異常だったのではないでしょうか。
終わりに
日本は“右傾化”しているのではなく、ようやく“自立国家としての原点”に立ち戻ろうとしています。それは感情的なナショナリズムでも、外国人差別でもありません。
日本という国を、日本人がしっかり守る。その姿勢があってこそ、真の国際貢献や多文化共生も成り立つのです。
「日本人の、日本人による、日本人のための政治」——それは、国家として当然の原則であり、何よりも健全な原点回帰の姿なのです。