GACKTさん「裁判に勝っても誰も読まないようなページに『すみませんでした』とサラッと書かれるだけ」「売れればいいだけの週刊誌にモラルは無い」
週刊誌の記事に対して裁判を起こしても結果は2-3年後。
裁判に勝っても誰も読まないようなページに「この件に関しては〜〜すみませんでした。」とサラッと書かれるだけ。
売れればいいだけの週刊誌にモラルは無い。
https://sn-jp.com/archives/153255
はじめに
さすがGACKT様ですね。
火の玉直球どストレートです!
有名人にとっては、裁判に勝っても負けても意味がないんです。
記事を書く側は、刺激的な内容がバズって、売上げを伸ばすことが目的ですから。
真実なんてどうでもいいんです。
記事を書くための裁判
記事を売る側も、とりあえず訴えておいて、訴訟の取材といった体で記事を書きますからね。
このことで、記事を書く正当性が生まれるわけです。
実際の法定で審理が始まる頃には、もう記事の内容も旬を過ぎているので、記者側は法定にも姿は表しませんからね。
裁判なんてどうでもいい
記事を書く側にしてみれば、裁判なんて勝っても負けてもどうでもいいんです。
記事を書く正当性があるだけで裁判の目的は達成です。
裁判が結審する頃には、聴衆も記事の内容に興味がなくなっているので、裁判なんて勝っても負けても事実上、意味はありません。
有名人が転落していくコンテンツ
これも一種のコンテンツとしてマーケットが成立している残念な状況です。
記事を書く側は内容が刺激的でバズれば売れるし、聴衆も有名人が転落していく様子を高みの見物で楽しむ一種のコンテンツなんですよね。
それに今は、人がモノのように扱われて惨めな思いをしている人が増えてしまいましたからね。
有名人が転落していくショーを見て、ストレスを発散している感情はあっという間に伝播して、バズりやすい特徴があります。
まとめ
幸福度が高い状態では、こんなのはバズらない内容ですが、もう30年以上も理不尽な時代が続いていますから仕方のない現象です。
さわさりながら、GACKT様の仰ることは正論ではありますが、事実上、裁判に勝っても負けても関係ないのは確かです。
そんな記事を書く側に、そもそもモラルはない。
GACKTさん「裁判に勝っても誰も読まないようなページに『すみませんでした』とサラッと書かれるだけ」「売れればいいだけの週刊誌にモラルは無い」 https://t.co/eeMGpgO3d5
— Share News Japan (@sharenewsjapan1) January 28, 2024