新宿駅でまた人身事故──中央線全線見合わせ

2025年某月、新宿駅で発生した人身事故により中央線が全線運転見合わせとなりました。
人々が通勤から解放される休日の午後。
家族と過ごす人も、ショッピングや遊びに出かける人も多い中、
なぜこのような“最悪の選択”が行われたのでしょうか。

事故直後、SNSでは「またか…」「なぜ休日に…」「電車が止まって困る」など、
驚きと苛立ちの声が飛び交いました。
しかし、その背景にある社会の闇に目を向ける人は、まだ少ないかもしれません。


「休日なのに」──むしろ心が追い詰められる瞬間

一般的に、人身事故は月曜や連休明けなど、仕事のストレスが強くなるタイミングに多発すると思われがちです。
しかし現実には、土日や祝日にも頻発しています。理由はこうです。

1. 休日=“向き合いたくない現実”が押し寄せる

仕事に追われている平日は、ある意味「考える暇もない」状態です。
一方、休日にふと立ち止まると、次のような思いがよぎります。

  • 「自分の人生はこのままでいいのか?」
  • 「将来結婚もできない、家も買えない、老後も不安…」
  • 「親の介護や子どもの教育費、どうしよう」

つまり、休日の方が“将来のことを真剣に考え、絶望に至る時間”ができてしまうのです。


絶望の背景にある“詰んでる日本”の構造

日本は世界的に見ても“生きづらさ”が強い国だと言われています。
特に以下のような構造的な問題が、心の余裕を奪い続けています。

1. 賃金は上がらず、物価は上がる

  • 実質賃金は過去30年ほぼ横ばい
  • 一方で、食料品・光熱費・家賃など生活コストは急上昇中
  • 貯金もできず、将来に備える余力すらない若者が増加

2. 社会的孤立とコミュニティの崩壊

  • 核家族化・未婚化・単身世帯の増加
  • 相談できる相手がいない、心の逃げ場がない
  • SNSはあるが「本音を言える場所」がない

3. “普通”が難しい国になってしまった

  • 「正社員」「結婚」「子育て」「マイホーム」…昔の“当たり前”が高嶺の花に
  • 一生懸命働いても報われない
  • 正直者が損をするような制度ばかり

このような状況で、「自分の人生に意味はあるのか」と問うた瞬間、何も答えが見つからない人が増えているのです。


人身事故という“無言のメッセージ”

人身事故を起こした本人の動機は、外からは正確にはわかりません。
しかしその行動は、社会に対しての無言のSOS、あるいは「こんな社会では生きていけない」という“抗議”にも見えます。

  • 「誰か助けてほしかった」
  • 「苦しいと声を上げても誰も聞いてくれなかった」
  • 「せめて“最後”だけは自分の意志で選びたかった」

社会が“見て見ぬふり”をすることで、同じような事件は繰り返されていきます。


政治も企業も“自己責任”を押しつける構造

なぜここまで放置されているのか。
それは、政治も企業も「生きづらさの本質」に向き合おうとしないからです。

  • 政治:「成長戦略」や「投資促進」ばかりで、庶民の生活再建は後回し
  • 企業:「自己研鑽が足りない」「副業で稼げ」などと個人の努力に転嫁
  • 社会:「努力不足」「甘え」などという冷たい視線

その一方で、外国人支援や海外投資には積極的な姿勢を見せ、
「誰のための政治か?」という疑問が多くの国民の中に生まれつつあります。


まとめ:絶望を生まない社会にできるかどうかは“私たち”次第

新宿駅で起きた人身事故は、決して他人事ではありません。
社会全体の構造が、人を追い込み、心の逃げ場を奪っているのです。

  • 休日にふと現実に向き合ったとき、「生きていく意味」が見出せない社会
  • 「普通に働いても報われない」という閉塞感
  • 「誰かに相談する」ことすら難しい孤立社会

これらを変えていくには、政治、経済、メディア、そして一人ひとりの意識の変化が必要です。

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