はじめに
「夫婦別姓制度を導入すべきか」。この議論は長年続いていますが、最近は一部の声が大きくなり、国の制度変更にまで発展しようとしています。しかし、本当にその制度が必要なのか?どれだけの人が“本当に困っている”のか?そのために「家族のあり方」や「日本の伝統」を大きく変えてしまってよいのか。今回は、この問題について冷静に掘り下げてみます。
現在の制度:夫婦同姓は世界的に見て少数派
確かに、日本は民法750条により「夫婦は同一の氏を称する」と定められており、事実上「夫婦同姓」が義務付けられています(ただしどちらの姓にするかは自由)。世界的に見るとこれは少数派であり、選択的夫婦別姓を認めている国が多いのも事実です。
しかし一方で、日本では「姓=家」や「戸籍=家族の単位」として社会が設計されており、それに基づいた行政・教育・税制の仕組みが構築されています。そのため、姓を変えるという行為は単なる「名前の変更」にとどまらず、社会制度全体にかかわる重要な問題なのです。
夫婦別姓を望む人はどれくらい?
内閣府の世論調査(令和3年)では、「夫婦が別姓を選べるようにした方が良い」と答えた人は約40%、「夫婦は同姓であるべき」と答えた人は約30%、どちらとも言えないが約25%でした。
一見、多数が容認しているようにも見えますが、実際に「別姓でないと結婚できない」として事実婚を選んでいる人は全体の約1%にも満たないというのが現実です。
具体例:事実婚で生活している一部のカップル
例えば東京都内に住むAさん(40代・女性)は、キャリアを築いてきた名字を変えたくないという理由で、長年交際してきたパートナーと籍を入れず、事実婚を選びました。しかし子どもが生まれた際、「法的な親子関係」「学校への提出書類」「病院の手続き」などで大きな障害があったといいます。
こうした例は確かに存在しますが、全国でこうした理由で困っている人は数万人規模にとどまるのが実情です。つまり、全人口の0.1%未満の「強い希望者」のために、国家制度全体を変える必要があるのかという疑問が浮かびます。
夫婦別姓がもたらす混乱とは?
制度変更によって多くの国民や行政機関が混乱する可能性も無視できません。
具体例1:戸籍制度の破綻
現在の戸籍制度では「家族単位で記録する」ことが前提ですが、別姓を導入すると「夫婦であるかどうか」が姓からは判断できなくなります。これにより、行政手続きの多くが煩雑になり、戸籍制度そのものを見直す必要が出てくる可能性があります。
具体例2:学校・職場での混乱
現場の学校では、保護者の名字が子どもと異なることで混乱が生じたり、本人確認に時間がかかることがあると言われています。また企業では、旧姓使用がすでにある程度認められており、姓の統一が業務の効率化に役立っている現状もあります。
国の「伝統」とは何か
日本における「家制度」はすでに戦後大きく変わったとはいえ、「家族単位での生活」が基本です。家族の名字が一つであることで、社会的にも一体感や連帯感が醸成されやすく、それが地域や教育の基盤にもなっています。
もしこの枠組みを壊してしまえば、将来的に「家族とは何か」「法的なつながりの意義は何か」といった、もっと根本的な問題に直面することになります。
おわりに:本当に変えるべきは「名前」なのか?
夫婦別姓の議論は、確かに一部の人にとっては切実な問題です。しかし、それが国の制度や伝統を根本から見直すほどの規模の話なのかといえば、疑問が残ります。
制度を変える前に、「旧姓の通称使用をさらに広げる」「柔軟な事務手続きの導入」など、できることはまだあるはずです。ほんの一部の人の希望を叶えるために、国家の基盤を揺るがすことに慎重になるべきではないでしょうか。