「ここは日本なんだから、日本人の暮らしや安全を最優先すべき」
──こう主張することが、いつから“差別”や“排外的”と非難されるようになったのでしょうか?
かつては当たり前だった「自国民を守る」という価値観が、今の日本では言いにくい空気に包まれています。
今回は、「なぜ“日本人ファースト”が言いづらくなったのか?」という問いについて、具体例を交えながら掘り下げてみます。
1. 「日本人より外国人が優先される」と感じる場面の増加
多くの国民が“違和感”を抱くのは、次のような具体的な事例があるからです。
● 例1:外国人留学生への過剰な支援
文部科学省の制度では、日本人学生が受けにくい奨学金(返済不要)が、外国人留学生には支給されるケースが多数あります。
さらに、生活費や家賃補助まで用意されている例も。
一方、家庭の事情で進学を諦めざるを得ない日本人高校生・大学生は数多く存在しています。
● 例2:外国人生活保護の支給問題
総務省の資料によると、外国人への生活保護支給は全国で年々増加中。
法的には「人道的措置」として自治体判断で支給されているが、
「年金も納めてきた日本人高齢者が支給対象外になる」事例もあることに、国民の不満は高まっています。
● 例3:災害時や感染症対策での“外国人配慮”
2020年の新型コロナ給付金で、申請が遅れた外国人の支援を強化する一方、
日本人高齢者には手続きが複雑すぎて受け取れなかったという声が続出。
さらには「多言語対応」には税金が多く割かれる一方、日本人への相談窓口は“たらい回し”。
2. なぜ「日本人ファースト」と言いにくくなったのか?
この背景には、以下のような複合的な要因があります。
● メディアの「差別」過敏化
テレビや新聞、ネット記事では、「外国人排斥」や「差別」という言葉が頻繁に登場します。
その結果、「外国人との距離を置きたい」と言うだけで「レイシスト」と叩かれる空気が形成されてきました。
一部メディアでは、「日本人の権利が軽視されている」と言っただけで、炎上の対象になる例も。
● グローバル主義の過剰適用
政治や行政が「多文化共生」や「国際化」を掲げるなかで、
「日本らしさを守る」ことが“閉鎖的”と誤解されるようになりました。
本来、外国人を排除する意図ではなく「文化や安全を維持するためのルールを大事にしたい」という主張まで、“差別的”とされてしまう空気があります。
● 一部政治家や活動家による“過剰なポリコレ”
- 「外国人の声をもっと政治に反映させるべき」
- 「日本人だけが優遇されるのは不公平」
こうした主張が政治の場に増えてきた結果、「日本人を優先しろ」というごく当たり前の意見が封じられるようになってきたのです。
3. 他国では「自国民ファースト」は常識
世界を見れば、「自国民のための政策」が当たり前です。
- アメリカ:America First(アメリカ第一主義)
- フランス:フランス人の雇用を守る政策が中心
- 中国・韓国:外国人の土地購入や参政権は制限
それに対して日本では、外国人に対して門戸を開く政策ばかりが先行し、
日本人に対する支援が後回しになっているという実態があります。
4. 結論:「日本人ファースト」は排外でも差別でもない。ごく普通の国家の姿勢である。
「外国人を助けるな」と言っているのではありません。
“まずは日本人の生活と安全を守る”という視点が欠けているから、多くの人が不満を抱いているのです。
日本人が「日本人を大切にしてほしい」と言って何が悪いのでしょうか?
ここは日本です。税金を納め、地域を支え、子どもを育てているのは日本人です。
その当たり前の声が、なぜこんなにも“言いにくい時代”になってしまったのか――
私たちはその「空気」そのものを、見直すべき時に来ています。
これから私たちにできること
- 「日本人ファーストは差別ではない」という視点を持つ
- メディアやSNSに流されず、情報の出どころを自分で調べる
- 政治家に「日本人を第一に考える政策かどうか」を問いかける
- 地域社会で、自分たちの生活の声をあげる勇気を持つ