2025年11月、日本テレビのベテランアナウンサー・菅谷大介(すがや・だいすけ)さんがすい臓がんのため亡くなりました。享年53。
報道番組『news every.』などで長年視聴者に親しまれてきたアナウンサーの早すぎる訃報に、テレビ業界・視聴者の間で深い悲しみが広がっています。
■ 20年以上にわたり報道の第一線で活躍
菅谷大介アナウンサーは、1972年生まれ、千葉県出身。慶應義塾大学卒業後、1995年に日本テレビへ入社しました。
同期には藤井貴彦アナや笛吹雅子アナなど、今なお第一線で活躍する名アナたちが並び、入社当初から「堅実で落ち着いた声」「ニュース読みの安定感」で注目されていました。
特に2000年代以降は報道番組を中心に活躍し、
- 『NNNニュースプラス1』
- 『news every.』
- 『Oha!4 NEWS LIVE』
- 『ズームイン!!SUPER』
など、日本テレビの報道ラインを支える存在として信頼を集めてきました。
また、菅谷さんの特徴は“ニュースを淡々と、しかし温かみを持って伝える”語り口。
SNSでも「声を聞くと安心する」「ニュースが落ち着いて聞ける」と評判でした。
■ 闘病の事実は公にされず 静かな闘い
日本テレビの発表によると、菅谷アナはすい臓がんを患い、治療を続けながら仕事を続けていたといいます。
闘病は一部の関係者しか知らされておらず、同僚アナウンサーの間でも「体調を崩している」としか共有されていませんでした。
すい臓がんは、早期発見が難しく、進行が早いことでも知られる病。
自覚症状が出にくいため、発見されたときにはすでにステージが進んでいるケースが多いといわれています。
日本テレビ関係者によると、
「本人は最後まで“仕事に戻りたい”という気持ちを持ち続けていた」
とのことで、報道への情熱を絶やさなかった姿勢に多くの同僚が涙したといいます。
■ 共演者や同僚から寄せられる追悼の声
訃報が伝わった直後、同僚アナウンサーや報道関係者から追悼コメントが相次ぎました。
『news every.』で長年ともに出演してきた藤井貴彦アナは、放送中に涙をこらえながら次のように語りました。
「菅谷さんは、どんなときも穏やかで、言葉を大切にする人でした。報道の現場を静かに支える姿に、私たちはたくさんのことを学びました。」
また、かつて『ズームイン!!SUPER』で共演していた羽鳥慎一アナもSNSでコメントを発表。
「一緒に早朝から放送を作っていた日々を思い出します。菅谷さんのニュース原稿の一行一行には、誠実さがありました。」
と追悼しました。
■ 菅谷アナが残した“言葉を大切にする姿勢”
菅谷アナは、生放送中のトラブル時にも冷静な対応で知られていました。
たとえば2011年の東日本大震災発生時、緊急報道体制に切り替わる混乱の中、
彼は一言一句を丁寧に読み上げ、視聴者に「正確な情報」を伝えようと努めました。
SNSでは、その当時の映像が再び注目され、
「落ち着いた声が印象に残っている」「あの冷静さに救われた」と感謝の声が寄せられています。
こうした姿勢は、若手アナウンサーにも強い影響を与えており、
日本テレビ内では「アナウンス部の“縁の下の力持ち”」と呼ばれていたそうです。
■ すい臓がん――“静かながん”が奪う命
今回の訃報をきっかけに、すい臓がんへの関心も高まっています。
日本では年間約4万人がすい臓がんで亡くなっており、がんの中でも最も予後が厳しい部類に入ります。
- 初期症状がほとんどない
- 背中の痛みや体重減少などが出る頃には進行している
- 発見時には手術が難しいケースが多い
といった特徴があります。
菅谷アナも、仕事を続けながら治療に専念していたとみられ、本人の強い意志とプロ意識がうかがえます。
■ 視聴者に寄り添い続けた“報道の声”が遺したもの
菅谷大介アナは、派手なパーソナリティではなく、“信頼で支える報道の声”として、テレビ報道の原点を体現していました。
最後まで「ニュースを伝えること」に真摯であったその姿勢は、視聴者の記憶に深く刻まれるでしょう。
インターネット上では今も、「もうあの穏やかな声が聞けないなんて信じられない」「本当にありがとうございました」と追悼の言葉が相次いでいます。
■ まとめ:静かに、真摯に、言葉を伝え続けた人
報道の世界では、視聴者の目に映らない努力を続ける人がいます。
菅谷大介アナウンサーは、まさにその象徴でした。
大きな声で語らずとも、
一言一言に“信頼”と“温かさ”を込めたアナウンサー。
その存在は、日本テレビのニュース文化の礎として、これからも多くの後輩たちに受け継がれていくはずです。