「娘にとって私は外れなのかな」「プレッシャーでしかないです…」 若者言葉「親ガチャ」に苦しむ子育て世代

子どもは親を選べず、生まれた家庭で人生が決まる――。近年、「親ガチャ」というワードが急速に広まる中、子どもから親ガチャ失敗と言われるのではないか、もし自分が子どもを持ったら親ガチャ失敗に違いない、と不安を抱える子育て世代がいる。

「娘にとって私は外れなのかな」「プレッシャーでしかないです…」 若者言葉「親ガチャ」に苦しむ子育て世代(J-CASTニュース) – Yahoo!ニュース

親ガチャ、確かに自分の力ではどうにもならない環境は確かにある。
最低限、自分の意志でコントロールできる環境は必要である。
ただ、親ガチャとは誰にとっても悩みどころなのである。
そもそもここまで疲弊した世の中に大切なわが子を送り出すこと自体が不幸なのである。
これは実際に子どもを持った人にしか理解できないところである。
頭のいい人の詭弁はいらない。
人間は状況に応じて感情が入れ替わり進化していくもの、子どもを持たない人には絶対にわからない領域であるから仕方がない。
だから、それなりの社会的なポジションにある人でも、子どもを持つことに躊躇している状況は同じである。
実力であったり、人より努力してきたのは事実だが、運が悪ければ誰にでも簡単に転落するリスクが高すぎるのである。
一方、それなりの社会的ポジションを獲得できなかった人にとっては、さらにその不安は大きなものになってしまっている。
むしろ自分のような不幸を断ち切るためには子孫を残さないことが自分の使命であると考えてしまっている。
そんな将来に不安しかない世の中、いずれの状況においても無責任に子どもを世に送り出し、自分と同じような思いをさせたくないのである。
それが最適解として両立しているのが親ガチャなのである。
世の中、こんな感情が蔓延している。
人間は感情で動く。
同様に経済も感情で動く。
今の世の中が都合のいい人にもいずれ大きな影響がでるのは時間の問題であることはしっかり理解しておくべきだろう。

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